ジョジョの奇妙な冒険 Eyes of heaven
連載当時からリアルタイムで原作を追いかけてきたファンが語る『ジョジョ EoH』の感想。

1. ラストの「オラオラ」と「真実の上書き」は設定上、100%不要だった
ニワカファンや公式の解説では「同じタイプのスタンドとして真実の上書きに目覚め、オラオラで倒した!」と絶賛されがちですが、原作のロジックで真面目に考えればあのラストの承太郎の覚醒は100%不要であり、完全なストーリー設定上の破綻(ミス)です。

- 能力を封じたのは「ヴァレンタインの腕輪」:天国DIOの最強チート「真実の上書き」は、「スタンドの拳で直接対象に触れること」が発動条件でした。しかし、決戦直前にファニー・ヴァレンタイン大統領が命懸けで託した「基本世界のDIOの腕輪」が激突(並行世界の同一物による対消滅ルール)したことで、天国DIOの両腕はその時点で完全に爆破され、再生するまでの数秒間は能力が使えなくなっていました。
- ならば「ただの物理オラオラ」で終わるはず:腕が破壊され、無防備になったDIOに対して叩き込むのは、スタープラチナ本来の圧倒的な破壊力による「ただの物理的なオラオララッシュ」でいいはずです。それなのに、なぜか承太郎まで「真実の上書き(スタープラチナ・オーバーヘブン)」に覚醒します。
- 「一撃」ではなく「オラオラ」である矛盾:もし承太郎が真実の上書きの力を使ったのだとすれば、それは最初の一撃で「DIOが消滅する真実」を書き換えれば済む話。それなのに、延々と物理的に殴り続ける「オラオララッシュ」で決着するのは、能力の性質(拳で触れて書き換える)としても非常に中途半端で、設定の辻褄がどこにも合っていません。
結局、このラストは「原作第3部の『同じタイプのスタンドだ』という展開と、『おれを怒らせた』という名セリフをもう一度擦りたいだけ」の、中身がない表面的なオマージュ(記号の使い回し)に過ぎません。
2. ジョナサンとジョルノの完全放置(血の因縁とお祭り感の完全な死滅)
1部〜8部の全キャラクターを大集結させ、あれだけ大風呂敷を広げたにもかかわらず、最終章(第12章)の結末が「結局また承太郎のワンマンショー」で終わる点に、脚本家の凄まじい力量不足(中学生の頭と言わざるを得ないプロット)が露呈しています。特に「ジョナサン」と「ジョルノ」が蚊帳の外に置かれているのは、ジョジョの物語の根幹に対する冒涜です。
自分の肉体を奪われているジョナサンの無視
天国DIOの首から下の肉体は、初代ジョナサン・ジョースターのものです。目の前に「自分の肉体を最悪の形で悪用して神気取りになっている男」がいるのに、ジョナサン自身のセリフや、その肉体を巡る深いドラマ的な絡みがほぼ一切ありません。ただの「戦闘の数合わせ」として置かれています。
実の息子であり、完全なメタ能力を持つジョルノの空気化
ジョルノ・ジョバァーナはDIOの実の息子でありながら、ジョースターの「黄金の精神」を継いだ奇跡の存在です。さらに彼のスタンド「ゴールド・E・レクイエム(GER)」は、相手の動作や意志の力を全て『ゼロ』に戻す(=真実への到達を絶対に許さない)という、天国DIOの『真実の上書き』に対する完璧なアンチ能力です。
「真実を書き換えようとする悪の父親」vs「その真実への到達を拒む正義の息子」という、これ以上ない最高の設定が原作の時点で用意されているにもかかわらず、ゲームの脚本はこれを完全にスルー。ジョルノに引導を渡させることもなく、ただの観客にしました。
また、そもそもこのEoHの世界線では、仲間が全員生存できる(後で世界を書き換えれば救える)前提で旅をしており、原作第3部のような「仲間を惨殺され、ジョセフの血を吸われた」という極限の絶望・ブチギレ要素が承太郎に一切ありません。「怒る理由がどこにもない(むしろ腕輪のおかげで『ありがとう』と感謝すべき)場面」なのに、無理やり「おれを怒らせた」と言わせてオラオラさせる不自然さは、原作の魂の強さ(精神力)による一撃決着を知るファンからすれば白けるだけです。
3. 「天国」の思想をただのバトル漫画のパワーアップと誤解している浅さ
当時からのファンが最も絶望したのは、「天国DIOがなぜ天国へ行ったのか、どうやって強くなったのか」という悪のカリスマとしての哲学やドラマが一切描かれず、ただの脳筋ボスに貶められた点です。
- 原作における「天国」=全人類の安心感:第6部でプッチ神父やDIOが目指した天国とは、「時間を無限に加速させて宇宙を一周させ、全人類に未来の運命をあらかじめ認知させることで、恐怖を克服して『覚悟』を持って生きられる世界(安心感)」を作ることでした。これは「世界を自分の思い通りに支配する」ための力ではありません。
- ゲームにおける「天国」=ただのチートバリア:しかしEoHの脚本家はこれを「天国に到達したからスタンドがワンランクステップアップして、世界を書き換えられる無敵のチート能力(真実の上書き)が手に入った」という、ただの格闘ゲームのボス補正システムとして雑に扱いました。DIOが持っていた「運命や人間の弱さに対する深い哲学的思索」は完全に消え去り、「おれは真実を変えられるから最強、言うことを聞かないやつは消す」という、IQの低い三流悪党のセリフしか吐かなくなりました。だからこそ、あのラストバトルは会話も能力も、全てが「つまんない」のです。
4. ゲーム性すら最悪の引き延ばしクソゲー(12章の惨状)
ストーリーの破綻だけでなく、ゲームプレイの面でもプレイヤーに拷問を強います。最終章(第12章)では、物語が佳境に入ってプレイヤーの熱量が最高潮になっているはずなのに、「今さっき(10章や11章で)すでに1回倒して洗脳を解いたはずの歴代の仲間やボス(ツェペリ、シーザーら)の元へわざわざ出向いて、全く同じ相手と『2回目』の戦闘を延々とさせられる」という嫌がらせのような二度手間・水増し構造になっています。
さらに、エリアを回りながら序盤に出たようなゾンビや吸血鬼のモブ雑魚敵をもう一周全滅させられるという、テンポ最悪の苦行を課されます。ゲームとしてのプライドを疑うレベルの手抜き引き延ばしであり、「クソゲーだから途中でディスクを捨てたくなる」のは至極当然です。
5. なぜこんなクソゲーがプレミア化しているのか?

中身がこれほどスカスカのクソゲーなのに、中古市場で価格が高騰(プレミア化)している理由は、作品の質が良いからではありません。前作の『オールスターバトル(ASB)』のやらかしが生んだ、完全に商業的な歪みの結果です。
- 前作ASBが「フルプライスなのにスタミナ課金(無料で遊べちまうんだの悪夢)」などで大炎上し、ファンがバンナムへの不信感を募らせた。
- そのため、次作である『EoH』はファンが警戒して買い控え、初週販売数が前作の10分の1以下(約4万本)に大爆死。バンナムはすぐに生産を止めたため、市場に出回るディスクの数が極端に少なくなった。
- その後、アニメ化(5部・6部など)で新しく入ってきたうわっ面だけのニワカファンが、「歴代キャラ総出演」「天国DIOというオリジナルボスが出る」という表面的なパッケージ(記号)だけに釣られ、代わりのないジョジョの3Dゲームとして欲しがった。
中身は使い回し連戦と矛盾だらけのラストオラオラというクソ仕様なのに、「当時売れなかったせいで弾数が少ない」という希少価値と、ニワカファンの所有欲だけで値段だけが跳ね上がっているのが、現在のプレミア化の悲しい真実です。原作の「精神のぶつかり合い」をリアルタイムで体験してきたファンからすれば、中身のない流行だけで動く今の状況に、全然違う、何も分かっていないと吐き捨てたくなるのは当然のことです。
